言葉で隣人を笑顔にするために必要なこと

Ryo Izawa
Oct 20, 2021

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ぼくたち人間は言葉によって傷つき、また言葉によって救われる。それならば、そんな諸刃の剣である言葉を、人を笑顔にするために使いたい。

「言葉の究極の目的は隣人を笑顔にすること」

この言葉に出会ってからはそう思うようになった。

とはいえ、当たり前だがそう簡単に実践できるものではない。相手のことを思って事前に言葉を考え抜けるような状況なら、あらかじめ棘を抜いておき、じっくり温めた言葉で相手を笑顔にするのは、難易度としては比較的低い。これがとっさの場面であったり予期せぬ状況だとそうはいかない。ふと口をついた言葉、よく考えれば言うつもりもなかったような言葉が誰かの心を突き刺してしまうことだってあるのだ。

あるいは自分にとって大切な人、尊敬する人たちにはできていても、自分が嫌いな人、興味のない人に対してはとても難しかったりする。ぼく自身の人徳のなさなのか、つくづくできていないと事あるごとに思い知らされ、実際に棘を投げては後で落ち込むことも少なくない。

一方、嫌い、興味がない人だからといって切れ味鋭い言葉で相手を傷つけてよいわけがない。苦手な相手に対してもなんとか笑顔にできるような言葉を投げかけるような自分になれないものか。

考えた結果、普段の心の持ちよう次第、という身も蓋もない結論に達した。普段から心に余裕を持ち、いつも他人のために尽くすことを思い、そして何があっても言葉で他人の心を豊かにしようという覚悟を持つしかないのではないか。そう、それはきっと覚悟のような後天的な問題であって、もって生まれた優しさや恵まれた環境などとは次元の違う話のように思う。

例えばとんでもなく性格の悪い極悪人がいたとして、とはいえ彼だって彼が心底愛する人間に対しては彼なりの愛のこもった言葉を投げかけるはずである。ということは、誰であってもその愛の対象をできる限り広めていくことで笑顔の隣人を増やしていけるのではないか。

何があっても自分がまずは言葉で誰かを笑顔にする。おこがましくもそれで誰かを笑顔にできたら、そこにはそれ以前と比べてほんの少し良い世界が待っている。そんな人が世界中で溢れていたら、きっと今よりはるかに生きやすい場所になるに違いない。

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